『ラブコメに代えて。』      小竹大樹、萌兄の合作

 

         


それは秋が来る前の話。

トカゲがアスファルトの道端で変温動物特有の日向ぼっこにいそしんでいる姿を見たとき、ふと、僕の頭の中に、食欲が湧く。

 そして、僕は驚いてしまう。生まれてきてからこのかた、トカゲなんて腐るほど見てきたっていうのに、食欲を覚えてしまったのは今日が始めてだった。改めて自分の飢えを感じる。

 別に何も食べていないわけじゃない、ただ、量や質が少しばかり落ちているだけの話。

それなのに僕は黒いアスファルトに、こぎみよく焼かれてゆく、そのトカゲの乾いたトリの胸肉のような食感の妄想が、喉の奥を駆けてゆく。

 次の日、トカゲは、トカゲのくせに熱射病にでもなったのか、アスファルトの上で死んでいた。そして腐ったその腹からは、僕ではなくて、蟻たちがその肉を持ち去っていっていた。

 嫌な話だ。

         

 秋になって新学期が始まる

「腐ってる。」

 彼女はよく僕に向ってそんなことを言う。

 でも、彼女は、僕の心の中が腐っているのか、体の中が腐り始めているのか、いったいどちらかか、もしくは両方かという事までは教えてはくれない。

 けれども、きっと、僕には答えが解かっていたと思う。解からなかったのは、彼女の方だったんだな。きっと。

 嫌な話だ。

         

 今日も外は雨だった。どうして雨か?

天気予報のお姉さんは、適当なことを言っていた。

でもこのまま雨が続けば、ここも時期に海の底になるんじゃないだろうか?

「どう思う?」僕はまた、そんなくだらない事を彼女に聞いた。

彼女は「海になるかどうかは解からないけど、ニュースの天気予報にはもうウンザリ。」と言って、その後、僕達はニュースに映る三面記事の新聞と家庭に配られる新聞はどちらが幸せかについて話し合って、共通の答えに辿りつくことができた。

「やっぱり、下宿学生に配られる新聞が一番悲惨よ、読まれもしないで、使われる時はせいぜい部屋で焼肉焼くときに、油が飛んでもいいように机に敷くときと、そうでもなかったら、自分で髪を切る時に、床に敷くぐらいだもの。」

そして、そんな素晴らしい答えを出した後、彼女はサークルの部室を出て行った。

僕は一瞬後を追ってみようかと思ったけれど、雨がひどくて、もう彼女の姿は白いもやの向こうに消えている。

僕はがっかりして、仕方なく自分の下宿先に帰ると、またこのジメジメとした気候のせいで、放置しといた生ゴミが腐って、嫌な臭いが狭い部屋に蔓延している。

嫌な話だ。

         

その夜、少々お酒を飲み過ぎて、知らない間に眠りに落ちて、午前三時に目が覚めると、意識が飛んでいるうちに、僕は飲み友達にひどいことを言ってたらしく、彼はすっかり腐って、ぐちぐち何かを言っていた。

僕は、嫌になって、外へ出ると、三日三晩降り続けた雨は何時の間にやら止んでいて、空にはぴかぴかお星様。

「こういう時に星なんて見たくないのに。」

 それでもこの田舎の町の星は綺麗で……

 嫌な話だ。

          

 彼は、音楽が好きだった。だから、もう流行らないのに髪形を中途半端な長髪にして、イヤホンをつければ、あら不思議。髪の毛のせいで授業中音楽を聴いていても、イヤホンが髪で隠れるから、バレ無いって寸法だ。

 僕はそんな彼の隣の席で、新しく買った教科書をパラパラめくると、何だか豆腐みたいな香りがしたから、今日は湯豆腐にしようと心に決めると、また鍋をツマミに熱燗でもひっかけるかなと模索する。

 それから数日たった後の話。

 彼は、耳鼻科に駆け込んで、耳の手術を受けたらしい。あんまりずっと、音楽を聴きすぎて耳に負担がかかってたっていうのに、誤ってボリュームをまわしすぎて、両耳の鼓膜が吹っ飛んで、しかも、夏にプールで溺れかけた時に患って、そのまま面倒臭いからといって放置しといた中耳炎のおかげで、破れた鼓膜の奥から怖いくらいに膿が出てきたなんていうかっこ悪い理由で。

 でも、彼は、そんな自分の不幸をネタに笑って言った。

 「医者がこんなこと言ってたよ、お前の耳の中は本当に腐ってるって。」

 僕等はそんな彼の話を聞いてげらげら笑った。

 けれども、そんな僕等の笑い声がどこまで彼に聞こえたかは解からない。その時、彼の耳には中耳炎の時に耳に付ける、あのガチャガチャのカプセルの片方みたいなものがくっついていたし、中耳炎が治って、医者によってそれが取られた後も、彼は軽い難聴を背負ってしまっていたから。

 そして、彼はその半分壊れた耳で前と同じように音楽を聞くため、ヘッドホンの音量は前にも増して大きくなっていった。

まあ、そのお陰で、授業中音楽を聴こうとすると、あんまり音が大きいもんだから、外まで音が漏れてきて、注意されるようになってしまって。もう髪を伸ばしている意味は無いと、彼も気付いたのか、髪をばっさり切って、なかなかの好青年がまた一人誕生した。

 「その髪型似合ってるよ。」

 「そうかなぁ。」彼は少し照れくさそうに、辺りをキョロキョロ見回しているから、新品の補聴器が嫌がおうにも僕の視界に入ってくる。

 「大変だな、おまえ。」

「そうでもないさ、だって、メガネと同じ様なもんだろ。」

僕等はその後、他の友達と一緒にカラオケボックスに突入して、一晩中歌い続けた。

耳が悪いのにこの中で一番歌の上手い彼。

どこも悪くないのに音痴な奴にとっては。

嫌な話だ。

         

「負け犬って何で吠えるんだろう?」と彼女は、紅茶にイチゴジャムをこれでもかと溶かしながら僕に聞く。

「雄鶏が、朝っぱらから、空に向って鳴くのと同じ理由さ。でも、何でそんなもの飲めるのかなぁ、甘ったるくないの?」

「だって、お茶って、そのままじゃ苦いだけじゃない。」とスプーンでカップをかき混ぜながら彼女。

「最近の若い人は、どうして苦味ってものが解からんのかね。」

「おやじ臭い。」ロシアンティーを飲みながら彼女。

「言ってくれるなぁ、でも紅茶もウーロン茶も緑茶も、元は葉っぱからできてるんだよ、知ってた?」

「知ってるよ、それくらい。発酵の具合が違うんでしょ。チーズだって同じ。そういえば肉って腐りかけの方が美味しいって言うけど、ほんとかなぁ?」

「本当らしいよ。蟻だって腐りかけたトカゲの肉の方が好きそうだったし……。」

「何の話?」とカップを両手で持って口に運んで、流し目で僕を見る彼女。

「いやいや何でもないよ、ほら、豆腐だって納豆だって大豆を腐らせて作ってるわけだし、他にもさ、生ゴミだって腐敗臭漂わせなかったら、めんどくさくて捨てないだろうし。腐ってぐちぐち言う奴も、ぐちぐち言える相手だから、僕にぐちぐち言ってくるわけだしね。それに、あいつも耳が腐ったお陰で髪切ってかっこ良く成ったしな。腐るってのもまんざら悪いことじゃないさ。」

「でも、君も腐ってるけど、あんまりいいもんじゃないよ。」彼女はロシアンティーを喉に流し込みながらそう言った。

嫌な話だ。

         

嫌な話ついでに。

彼女はこんな話をした。

昔々、あるところに、とても美人なお妃様をめとった王様がいたそうで。幸せに暮らしていたのだけれども、不幸なことにその、お妃様は若くして病に倒れられ、死んでしまったそうな。そして、それをたいそう悲しんだ夫の王様は、その美しいお妃様の亡骸との、お別れがどうしてもできずに出来ずにいるのですが、しかし、いくら離れたくないといっても、このままでは、そのうち、お妃様の亡骸は腐って見れたものじゃなくなってしまうのです。そして、それは王様にも痛いくらいに解かっていました。だからついに、はくせい作りの名人達に命令して、お妃様の亡骸を永遠に美しいままのはくせいにしてしまったのです。それからというもの王様は死ぬまで、その永遠に美しいままの、お妃様をそばにおいていたそうです。そして、王様亡き後の、今でもその王様が住んでいたお城には、いまだに美しいままのお妃様が、住んでいるそうで……

         

「腐ってる。」また彼女はそう言ってくれた。だから、僕も言い返す気になる。

また、雨が降り出した。今年の秋は本当に雨が多い。僕にとってもこんな秋は初めてだ。

僕はCDを一枚取り出して、なんとなく流してみる。ゆっくりとした、いいテンポ。

『部屋とワイシャツと私〜♪』

僕は笑いながら、ため息をつこうとすると、何か吐き出しそうになる。


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