メイドの妊娠論

 

若年層の妊娠、出産問題から、主人とメイドさん間の子作り問題について考える。

 

若年者の出産について

 

昨今、ドラマなども放映され、何かと話題になっている若年層(高校生はおろか、恐ろしい事に中学生ぐらいも入るらしい・・・)の妊娠の問題だけれども、メディアの捉え方はいささか間違っているように思えてしまう。

 

例えばドラマで、中学生が妊娠する話は、昔からあるけど、色々途中経過はあるものの、そのカップルの間に愛があって、周りにも出産を認めてくれる仲間や、支えてくれる家族が居れば、その少女が子供を産むのは悪い事ではない。という風な結論が出される場合が多いようだけど、本当にこれでいいのだろうか?

 

確かに、お話の世界では、そういった理想論も良いかもしれないし、実際、少女が現実世界で妊娠したとして、殆どの場合は周りに言われて中絶するだろうけど(中絶自体の生命倫理的問題はここではおいておく)もし、周りの人たちがすごく優しくて(甘くて)産むのを許したとして、それで生むこと自体は、確かに法律に引っかかる犯罪ではないし、皆に認められての出産なら、中学生であろうと、ドラマの中のようにある意味ハッピーエンドで、悪い事ではないように思えてしまうかもしれない。

 

でも、確かに、理解者が多ければ、生まれた子供も、いろいろ言われるかもしれないけど、頼れる大人も居るわけだし、生活にも祖父母の支援があれば、そんなに苦しむ事は無いかもしれない。しかしこういう環境があれば、若年層の出産が悪い事でないとは思えるのだけれど、だからといって、手放しで容認できるような善い事であるともいえないんじゃないだろうか?やはり若年層の妊娠、出産には一種の『狡さ』みたいなものがあると思う。

 

考えてみよう、子供を作る事自体は、女と男が居れば作れるけれど、だからといって、見境無く作っていいわけじゃない。例えば、男が子供がほしいからといって、女を襲って産ませるはいけないことだ。それと同じように、子供を育てられる身分で無い人が子供を作るのもルール違反なのではと思うのだ。

 

確かに、それをいえば、成人しても稼ぎの無い学生やニートも子供を作る資格が無いように思えるが、確かに、学生の分際で子作りはと思うけれど、学生でもニートでも成人していれば、何らかの働き口はある。だからどうにかして出産資金を集める事が出来ないわけじゃない。でも、十八歳以下の若年者の場合どうか?高校生ならバイトが出来るが、法律で夜は働けないし、自給は安いから、そんなにお金はためられないだろうし、中学生はバイトさえ出来ないのだから、出産や育児は全額自己負担しないということになし、子育てや出産自体に体力的に耐えられるかという問題もある。

 

こうなってくると、やはり若年層の出産はある意味、自分以外に絶対押し付けてしまう量が、成人よりも圧倒的に多いわけだし、それを解っていて、子供作りをしたのだから、やはり『狡さ』があると思う。しかし、この問題についてもこれだけでは片付かない事もある。それは、子作りを子作りと思わないでしちゃっていたり、正しい知識が無くて妊娠してしまった若年層も居るんじゃないかという問題だ。

 

前者(子作りを子作りと思わないでしてしまった)という問題は、純然たる性教育問題になるとは思うけれど、後者(正しい知識が無くて妊娠してしまった)というケースは、性教育のあり方の問題もはらんではいるものの、やはりどれだけでは解決できないところがあると思う。

 

若年者の性について

 

前章では、若年層の出産について考えてきましたが、出産には妊娠しなくてはいけないわけで、そして妊娠には、性行為がないといけないわけなので、この問題も切り離せない事を考えると、やはり考えておくべきでしょう。先に結論を言ってしまえば、僕自身の考えとしては、若年層の性行為のまた出産と同じで『狡さ』の上に成り立っていると思います。

 

確かに性教育の問題は難しいです。どうやれば子供が出来るかを教える前に、子供たちが、エッチな本とかテレビを見て、面白そうだからヤッテミヨウとかいうノリでしてしまった場合、その子供たちの中には「これで赤ちゃんが出来るかもしれない」という考えは無いわけですから、責任の取りようもありません。しかし、性教育を絶対受けているであろう、小学生高学年以上の子供が、そうと知ってて性行為に及ぶのは、やはり彼なの中にある意味『狡さ』があるからできる事なのだと思います。

 

なぜなら、前章でも述べたように、妊娠して出産するような事があれば、殆ど他人任せになるのは明らかだし、中絶するにしろ、その費用は親持ちとかになるのもわかってるはずです。それでも性行為に及ぶのはやはり『狡さ』があるとしか思えません。そして、それは性教育を受けて、ちゃんと避妊しているからといって、無くなる問題じゃありません。

 

確かに避妊手術ぐらいすれば、100パーセント妊娠は避けられるでしょうから、良いかもしれませんが、若年層がそういった処置を受けられない以上、性行為で妊娠しない可能性は無いわけですから、そういうことを何処かで知ってしまっている子供がそれでも性行為に及ぶのは愛があろうと無かろうと、その性行為には『狡さ』があるのは明確な事実だと思います。

 

メイドさんと主人の子作りについて考える。

 

前章までで述べた事から、本題であるメイドさんとご主人様の子作りについて考えましょう。まず、第一にメイドさんは出産してもいいかという問題があります。メイドさんは、子供と同じで、メイドさん単体では生活できませんので、もし妊娠して、一人で育てると言って、出て行ったとしたら、それはメイドさん自身や、周りの人、生まれてくる子供に迷惑をかけるわけですから、出産するルールに背いているとしか言えません。

 

しかしながら、主人がメイドさん思いで、一緒に育てるというのなら、それは生まれてくる子供にとって、親が夫婦契約か主従契約かいう違いだけで、夫婦の間に子供が出来たのと差ほど変わらないので、出産のルールに準じているといえます。

 

それでは、主人とメイドさんの性関係についてはどうでしょうか?メイドさんも主人も根がエッチな人たちで、性についての知識は常人の比ではないはずなので、避妊に対する知識も、本当に医者並みに詳しいはずです。ですから、子供のように「知らないで出来てしまった」ということは言えません。メイドさんと主人の間に子供が出来た場合、避妊が失敗して出来てしまったというより、出来るとわかっていて、わざと性行為をしたとしか言えません。その点において、若年者の性行為にある『狡さ』みたいなものを内包しているように一見思えます。

 

確かに、主人とメイドさんの性行為は『狡さ』の結晶と言えるでしょう。しかしながら、若年者同士の性行為の場合、男の方も、女の方も、同じ『狡さ』(どうせ、自分じゃ責任取れないけど、エッチしちゃえという狡さ)を共有していますが、主人とメイドさんの性行為の場合、メイドさんの方には若年者と同じような、妊娠しても自分にはどうしようもないけど、ご主人様とエッチするですぅ。という『狡さ』はありますが、主人の方は、メイドさんが妊娠しても、別に責任が取れる状態にあるわけなので、若年層やメイドさんの持つような『狡さ』は持ち合わせていません(まあ、だからといって、メイドさんが妊娠しないかそわそわしているのに、自分は余裕で居るわけなので、メイドさんに対する狡さは主人にはあるでしょうが・・・)。

 

こうなると、主人とメイドさんの性関係は、半分、性行為のルールに反して、半分ルールに従っていると考えられます。これが、メイドさんと主人の性行為中の関係をある意味規定していると考えられます。

 

メイドさんと主人の性の関係性

 

例えば、中学生で妊娠した場合。妊娠した少女も、その相手の少年も第三者(ここでは当事者は同じ『狡さ』を共有するカップル、二人称は、その『狡さ』の尻拭いをさせられる迷惑をかけるであろう近しい大人とか、理解してくれて協力してくれる大人、そして三人称(第三者)は、カップルの『狡さ』の及ばない傍観席に居る、それ以外の周りの人々)から、『淫乱』呼ばわりされることは必至です(こういうところがあんまりドラマで出ませんが・・・あと、妊娠した時、どうして回りの大人が、何でちゃんと避妊しなかったの!とかも聞かないのもおかしいなとか思いますね)。確かに愛のある性行為にしても、中学生でそういうことに至るのは、奇麗事を言っても、普通の人より淫乱とかまではいかないにしろ、ちょっとエッチなんじゃないかなと思われても仕方ない事です。

 

そう考えると、主人とメイドさんの性行為の関係性も極めて明瞭に理解できます。まず、若年者の性行為と同じ『狡さ』を内包している。メイドさんはここでは一人称(当事者)と位置づけられるでしょう。そして二人称に入るのは、メイドさんが主人と性行為に及んでいる時点では、メイドさん自身、妊娠したら、主人と別れて出て行かなければいけないという、観念を持っている以上、メイドさんの『狡さ』の尻拭いをさせられるのは、出て行った先の周りの人々や、苦しい生活で迷惑をかけるであろう、自分の子供などが、二人称にあてはまるでしょう。

 

では、三人称(第三者)には誰が入るかといえば、そこには主人が入ると思われます。なぜならば、主人は、メイドさんとは違い、若年者の『狡さ』をメイドさんと共有していないので、一人称とは言えませんし、メイドさんが妊娠したら出て行く覚悟の上で、性行為に及んでいる以上、メイドさんの『狡さ』の尻拭いをさせられるわけではありませんし、出て行ってしまえば、他人同然になるでしょうから、理解者として近くにも居る事が出来ないので、二人称にも当てはまりません。よって、主人は三人称であり、であるからしてs主人は第三者として、メイドさんの事を「淫乱メイド」とののしるのです。

 

こういったことからメイドさんと主人の性関係の構図は出来上がり、メイドさんが攻められる性行為が主人とメイドさんの仲で生まれ、一般的になることにより、『MeidMはマゾのM』という言葉が作られるまでになったのだと推察できます。

 

しかしながら、過去ならありえたとして、現在のメイドさんが、主人様の子供を身ごもった場合、殆どが出て行くことも無く、主人の下で子供を産んで育てている以上、メイドさんが、それでも強固に『狡さ』を内包しつづけるのは、主人とメイドさんの性に関する知識が豊かである事が起因していると思われます。メイドさんも主人も、『狡さ』というタブーを孕んだ性行為が、普通の性行為より耽美な悦びにふけられる事をしっているから、そういった、昔のメイドさんの(妊娠したら出て行こうという)心持を捨てないでいるのでしょう。

 

メイドさんの妊娠、出産の是非についての議論でしたが、いろいろと脱線しましたが、まとめとしては、メイドさんの妊娠出産は実質、現代では妊娠後もメイドさんが主人の元で暮らしている以上、若年層の妊娠、出産と違い、問題ないけれど、メイドさんと主人はエッチだから、昔のメイドさんの心持を利用して、自分たちのの性行為を、タブーの消費によって盛り上げているヘンタイさん達だということは解っていただけたと思います。

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