『新しメイド教科書』(思想史)

 例えば、道端に、女の子(別に幼稚園生とか、小学生とか、中学生とか、高校生とか、それ以上とか、そう限った話じゃないが)が何人か居るとする。そうすると、その中で何人がちゃんとしたメイドさんに成れるかと考えればその数は極めて少ないと思える。

 その結果がこれだ、皆の周りにメイドさんは居るか?俺の周りにも当然居ない、だから俺はメイドさんを探している。それなのにだ、俺が周りの人間に、「俺はメイドさんを探してる。」と言うと、大抵彼らは、メイドさんを信じていないから、俺はたちまち、ひどい物笑いの種になる。

 彼らの一人が「メイドさんが行方不明になったのか?」と言い、また、誰かが「メイドさんが迷子になったのか?」言った。他にも彼らは続けて、「メイドさんが、子供のように迷子になったのか?」「それとも隠れん坊をしているのか?」「我々が怖くなったのか?」「船に乗っていったのか?」「それとも、移民というわけか?」「はたまたトイレで悶々としているのか?」「其れはうらやましい。」「其れを言うなら、やましいだろう。」と、彼らは口々に叫び、笑ったりした。

 そして俺は、彼らの中にも(メイドさんがトイレで・・・・・・と言ってた奴とか)、メイドさんについて、ナカナカ解ってるジャンと思いつつも、皆核心を得ていなかったので、そんな彼らの中に飛び込んで、鋭い目つきで睨みながらこう言い放った、「メイドさんが何処に行ったって?君等に言ってやる!俺たちがメイドさんを殺したんだ!君等と俺が!全部メイドさんの殺害者だ!だがどうやって、どうやって俺達は家事万能(ついでに、床上手)のメイドさんを殺す事が出来たのか?メイドさんを埋める葬儀業者達の騒ぎが聞こえないのかい?メイドさんの腐る臭いがまだしてこないのかい?メイドさんもまた腐る!メイドさんは死んだ!死にきりだ!そして事もあろう、俺たちがメイドさんを殺したんだ!そう、殺害者中の殺害者たる俺達は、どうやって、その罪の意識から心を慰める?贖罪の為、どんな儀式(メイド漫画を描いたりとか)を発明しなければならないのだろう?こうした行為の偉大さは、俺たちにはとんでもなく偉大すぎやしないだろうか?こうした行為をやってのけるには、少なくとも、我々が、メイドさんと同等の家事能力を持ち、メイドさんに成らなければなら無いのではないか!」と、そして、その後、俺は続けて、アキバ中のメイド喫茶に闖入して、其処でさっきの『メイドさんの永遠鎮魂歌』を叫んだ。すると、どの店も店長が出てきて「お客さん困りますよ。」と言うので、俺は何時もこう答えた「メイド喫茶とはいったいなんだろう・・・・・・メイドさんの墓穴、その墓碑でなければ?」

 しかし、俺は家に帰ってから、よく考えた。俺は男だからメイドさんに成れないと。じゃあ、どうすればいい、メイドさんを、この手で作るしかない。でも作ったところで、増やさなければ、メイドさんは一代で終わってしまう。だから、増やさなければ成らないのだ。『増えるメイドさん』だ。
 
 そう、史実から見ても、メイドさんは本来、繁殖能力に長けている、あまりにも長けていたため、すぐに、ご主人様と交配して、増えてしまう。メイドさんが増えれば、労働者階級と資本家階級との、人数のバランスが崩れて革命が起こるかもしれない(メイドさんはご主人様に忠実なので、実際問題そんな事は起こりえないのに)と思い込んだ、偉いけど頭の弱い奴が、メイドさんと、ご主人様の間の仲を禁断のものにして、メイドさんの繁殖能力に抑止力を付けてしまい、その結果、メイドさんは、徐々に数を減らし、終いには絶滅してしまったのだ。

 このことから、やはりメイドさんの繁殖能力の凄さが解る。だから、僕は早くメイドさんを作らなければ成らない、一人でも作る事が出来れば、メイドさんは、ネズミのように増えていくに違いないのだ。そして、其れが実現し、初めて、我々は、『メイドさん殺し』の贖罪から逃れる事ができるのだ。


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