Kの友人                    

 


 凄まじい力で蹴り飛ばされたような衝撃が、M君の腹部に走ったことを、彼自身が気づいた頃には、Kの指は黒く冷たい鋼鉄の引き金を、いとも簡単に振り絞った末に、乾いた火薬を、熱エネルギーと運動エネルギーに変換して、小さい鉛の塊が、呆気無いぐらいにM君の体を貫いてしまった後のことだった。

 「すまんな、しかし君が悪いのさ。」

 Kはそう、倒れて動かなくなったM君に唾でも吐き捨てるように言うと、返事も聞かずに、どこか遠くへ行ってしまったから、もうM君が、再びKに会うということは無かったのさ。

 

 さて、それから半時ばかりが過ぎたとき、なんと死んだはずのM君は、ニョッキリ立ち上がり、瞳をカメレオンみたいにキョロキョロさせて、何やら探し回っているようだった。

M君はその時、Kに何だかすごく悪いことをしてしまったんじゃないのかと、気が気でなくて、Kをそこらじゅう探し回ったのだけれども、結局見つからなかったし、本当に自分が探したいものが、実のところ自分でもよく分からなかったから、きっと見つからないだろうと諦めてしまった。

それに、M君の気がかりはそれだけじゃなかったのさ、腹にあいてしまった小さな穴から、水分がかなり流出してしまったらしくて、どうにも喉が渇いてしまって仕方がなかったんだよ。

だから近くの喫茶店でアイスコーヒーでも飲もうと、裏路地から表通りに出て行ったのさ。

けれども、町はすっかり緑色に染まって、空はアイスクリームを溶かしているじゃないか、いよいよM君の我慢の限界が来てしまった。

M君は喫茶店までの、ほんの僅かな道のりさえも、鬱陶しくなって、ふらふらの足でつまずいた、赤くて四角い自動販売機に、新品の硬貨を二、三枚流し込んで、500ミリリットルのスポーツドリンクを買うと、爪がはがれてしまうんじゃないかと思わんばかりの勢いで、缶のプルタブを捩じ伏せると、口に缶の中身を吐き出させた。

まるで植物だなぁ、と思いながら、一時の快感がM君の喉に過ぎ去ってゆくと、彼はやっとのこと元気を取り戻し、Kを再び探してやろうという気になったのだけれども、その時だった。

M君にまた例の不快感が襲い掛かっかってきたんだよ。そう、閉店間際のスーパーマーケットの片隅で、売れ残ったホウレンソウみたいに、喉が渇いて仕方が無いんだ。

それにしてもおかしいと、M君は思ったよ。幾ら体の中の水分が、たくさん外に流れ出してしまったからといって、こんなに早く喉が渇いてしまうものだろうか?どこか体の調子でも悪いのかもしれないと、彼は怖くなったんだ。

そして、おもむろに視線を下げると、少しだらしなく、たるんだ腹部からYシャツ越しにも判るぐらいに、水が滴りだしているじゃないか。

これはどうしたことかと、M君がYシャツの裾を捲り上げると、今までならばYシャツの、ささやか抵抗のおかげで、チョロチョロとしか出ていなかった水達が、寒天みたいな棒状になって飛び出したから、M君は驚いて周りを見渡すと、口の大きい数人の女性がこちらを遠目から眺めているじゃないか。

これじゃ、なんだか道の真ん中で堂々と用を足しているように見られてしまうんじゃないかと思うと、恥ずかしさと、その女性たちの口の大きさへの腹立たしい感情が、やっぱり、腹から漏れる水のように溢れ出してきて、思わずM君は走り出していたよ。

 

どれくらい走ったのかな、M君は疲れ果てると、ちょうど彼の家の前で体が止まっていたから、彼は自分に感心して、一度、冷静になろうとすると、視線がまた下にいって、水の漏れ出している穴が目に入った。

穴からはもうだいぶ出てしまったらしく、今は勢いもなくなって、チョロチョロとしか出てないのだけれども、喉の渇きは前にもまして、まるで砂漠の真ん中にでも、独りきりで立たされているような気がしてしまって、M君また怖い気分になってしまった。

ところで、M君は怖くなったついでに思考をめぐらせて見ると、今さっきの女性達には、まだ用を足していると思われていたほうが、良かったのではと考えてしまったのさ。だって、そっちのほうが、腹に穴が開いてしまって、そこから水が漏れ出していることより、ずっと人間性の欠片が、所々に見受けられる気がするじゃないか。

しかし、今の所、M君にとっての一番の問題は、喉が渇くという曲げることができない事実だったから、萎えてしまったその足で、急いで家の中に飛び込むと、冷蔵庫の中の飲み物やらを、全て一気に飲み干した。

それにしてもとM君は思ったよ、なんせ喉が極限まで渇いているときに、何かを飲むという行為は、この上ない快感なのだからね、彼はちょっとした満足感に浸ってみると、やっと冷静になれたのか、Kの事を思い出したんだ。

M君は本当にKに悪かったと思っている。本当にあのまま銃で撃たれずにKが自分を許してしまっていたら、自分は耐えられなかったはずだから、Kはどこまでも、自分の事を思ってくれていたんだよ、本当にその通りだ、と彼が頷くと、すぐに水が、腹の穴から漏れ出した。

それにしても、このままではどうしようもない、M君は試しに水の漏れ出す腹の穴に指を突っ込んでみると、穴はダムが崩壊するみたいに、見る見るうちに大きくなって、こぶし大になってしまい、排水量も比べ物にならなくなってしまった。

はじめM君はどうしようかと、あわてていたけれども、どうしようもなく、また喉が渇いてしまって、蛇口を口に突っ込んで、バルブを回して、水道水をジャブジャブジャブと飲んでいったよ。

すると、どうだろう。水を多く飲めば飲むほど、どんどん腹に開いた穴は、大きくなって、終いにM君は唇と喉だけになってしまったんだ。

でも、そうなると蛇口に掴まっていることもできなくなって狭い排水管から、川に流されてしまう。

それでも、M君は別に悪い気はしなかったのさ、だって川の中では、幾らでも水が飲めるじゃないか。あの喉を潤す快感が、常時続くようになったんだよ。それこそ、飛び上がるほど嬉しくなったし、いずれは海に出て行って、塩水を飲むようになれば、余計に喉が渇いてしまうようになるのだろうから、水を飲むときの快感も、ひとしおだろうと、こんな罰なら悪くないなぁ、と顔の無い唇に恍惚の表情をうかべると、彼の目の前に針が垂らされて、運悪く、いや、油断していたんだね、それに引っかかってしまったんだ。

そして、彼は何処かの趣味で釣りをしている男に、釣りあげられたのさ。

 

それから数日過ぎたころだったかな。

学会は、新種の魚が発見された事に話題はもちきりとなったんだ。

その魚は、まるで人間の唇と喉を繋げたような外見をしていて、いままでのどんな魚類とも似てもにつかなかったから、軟体動物の観点からも調べる必要があるということが、生物学者達の大まかな考えだった。

研究者達は、まずは生かしたまま組織培養をしようと、細胞を採取するために、水槽からその新種の魚を取り出すと、なんとも苦しそうに、魚は跳ね飛んで、せっかく水槽に返そうとする人の手から手へピョンピョンピョンと法則性を無視して飛び渡っていったかと思うと、最後に床に落ちて、水槽から出て一分もしないうちに、死んで動かなくなってしまった。

あとから、調べてみると、魚の死因は窒息死ではなく、脳髄の下等な魚には珍しく狂い死にだったそうだ。

その後、魚は、学術的に価値があるとされ、はく製にされ、一度は博物館に置かれたけれども、盗まれたり、売られたりして、ころころ違った人手に渡っていったから、今では何処にあるかさえもわからなくなってしまったのだけれど、ちょうど先月俺はそれを手に入れたんだ。

どうだい、なかなかいいはく製だろ、確かに見栄えは、あまりよくないが、話や自慢の種ぐらいにはなるだろう?



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