近未来長宇宙大戦記悦びを解説
戦争漫画としての『悦びを。』
著、小竹大樹
よく考えてみると、戦後日本における漫画の進化というものは戦争漫画の進化といっても過言ではないのであります。その証拠に、日本の漫画というものの殆どは、直接戦争を題材とするものでないものであっても、みなどこかで戦いが描かれているわけでありますし、一見そうでなさそうな漫画にいたっても、それを描く作家が戦後初期の作家であるなら、彼らは直接その身で戦争を体験していますし、戦後すぐ生まれた作家たちの多くも敗戦国の子供というコンプレックスを背負って育ってきたわけですから、それらの作家たちの創る漫画の中にもそれら戦争の生み出した何らかの余波のようなものが現れてきて当然なのであります。
しかしながら、九十年代に入り、共産圏の崩壊と供に、戦争漫画からイデオロギー的なものは、みるみるうちに消えてゆき、その一方で漫画を第一線で描く作家たちの多くも二次大戦を知らないどころか、日本が敗戦国だったということさえ、ほぼ意識していない世代に成り代わった現在、それらの戦争漫画にあるものといえば、戦争の悲惨さを伝える悲観的な作品や、シニカルな戦争批判を繰り広げるものはまだ良いほうで、多くの通俗的作品においては戦争というものは、その作品の世界観を作るにあたっての一つの要素にまで、その意味を形骸化させ、そして、そのような漫画の中で描かれる戦争は、もはや作品のテーマ(目的)の座を追いやられ、単なるドラマ的展開やストーリーの筋道を立てる手助けする、いわば手段に成り下がっているのであります。
しかしながら、今や、そういった戦争漫画の中で育った子供たちや若者にとってはそれが普通のことに成り果てています。そして、萌兄君はそんな今日の現状を憂いだ上で、そのような情勢に一石を投じるためにこの作品を描いたのであると私は思うのです。
しかしながら、彼の作品は、単なるかつてそうであった戦争漫画を単純に踏襲するものでも、僕はないと感じます。
確かに、この作品において戦争というものは、先に述べたような、世界観を創るための手段でもなければ、一見、反戦主義の悲観的な素材に見えても、本質的にそれが中心的なテーマでも無いのは確かです、しかし、だからといって、ここで書かれる戦争に冷戦時にあったような日本の戦争漫画のようなイデオロギー的なものもさして感じられない。では、この作品で、萌兄君は何を語ろうとしているのか?
その答えは、今の僕にはあずかり知れないところでありますが、一つだけ解かることは、萌兄君は、この作品において戦争というものを、中心的テーマ(目的)としても、世界観を作る要素(手段)としても用いていないということです。彼の漫画の中では戦争というものは、『日常化』し、テーマにするほど特別なものではなく、また、世界観の一要素として使うほど構造のはっきりした題材でもない。そういった切実な矛盾が彼の作品の中には渦巻いているように思います。
そして、このような混沌とした状態が、この作品のテーマたるところであり、それは、まるでテレビの中で毎日のように戦争や紛争を目にしていても、さして感情を高ぶらせない我々の精神を比喩的に表現しているようにも僕には思えるのです。