発泡酒の崩壊

 

  ビール時代の発泡酒

 

発泡酒が生まれてどれくらい経ったか、1994年頃にサントリーが『スーパーホップ』を出してるから、もう十三年くらい経ってるわけで、発泡酒ができた当時の僕はまだ9歳だったから、その味については、呑んでいるわけ多分無いと信じたいし、実際味は覚えてないのだけれど、僕が思うに、今で言う第三のビールが最初に出たとき、まずいなーと思ったのと同じぐらい、まずかったんだと思う。だから発売当時はいくら安くても不味くちゃ意味無いということで、家の親もビール飲み続けていたし、世間もまだまだビール党がほとんどだったのだろう。

 でも、ビール会社の努力の成果で、サントリーが、まだ飲める部類の『マグナムドライ』を出したり、サッポロも『北海道生絞り』を出したりしたけれど、やはり本格的に消費者がビール党と発泡酒派に分かれたのは、キリンが『淡麗生』を発売し大ヒットさせたころだと思う。

 このとき、どういう具合にそうなったかと考えると、要因の一つとしては確かに端麗生は、この頃、確かに、他の発泡酒と一線を画するようにそこそこ飲めるようになっていたし、どうせ発泡酒ではあまり、ビール独自のコクが出ないということに、キリンは気付いていたのか、潔くビールの劣化版としての発泡酒作りを止めて、新しいビールっぽい飲み物としての発泡酒を淡麗生として形にしたというところはうまかったと思う。っけれども僕はこの発泡酒としての端麗生の完成度の高さが直接発泡酒ブームを引き起こしたわけではないと思う。

 話はちょっと遡るけれど、昔はビールといえば『キリン一番絞り』で、他はそこまで飲まれていなかった。ビールを呑む、おじさん達はビールの喉越しも好きだったろうだけど、ビールには苦味だとか、コクが大切だと思っていた。

 でも時代は変わっていく中で、比較的若者は、ビールの喉越しにビール選びの重点を置いていたのか、アサヒビールが、現在でも最も多く飲まれている『アサヒスーパードライ』を出すと次第にニーズはそちらに移り、どちらかといえば、癖があり苦味もつよいキリンやサッポロのビールは敬遠され、癖が無く誰でも飲めて、炭酸が強く、苦味やコクの薄いスーパードライが、宴会の中心におかれるようになって、日本で一番売れているビールになった。

 ここから僕が思うに、キリンの出した淡麗生は少なくとも最初は、人々からビールより安いから呑んでみようと口を付けられたのだと思うけど、人々間で呑まれていくうちに発泡酒としてではなく、「アサヒスーパードライの飲みやすさ倍増版飲料」として飲まれるようになったのではと感じた、だから別にブームになるのは、キリンの淡麗生でなくても、もっと極端に言ってしまえば発泡酒で無くてもよかったんじゃないだろうか?人々が求めていたものは、「アサヒスーパードライよりも、より癖が無く、喉越しのいいお酒」であって、別にそれさえ実現できていれば、ビールでも発泡酒でも、はたまたそれ以外でもきっとブームをを作ったと思う。少なくとも、淡麗生が生まれてすぐ、90年代の終わり頃までは、バブルは弾けて不景気に成ったとは言われていたけれど、それは銀行とかの不良債権や土地や株をやってる人の話で、一般市民の台所事情には今ほど暗い影を落としていなかったように思うから、酒代まで、そこまでケチケチする必要は無かったし、ちょっと前までは発泡酒というものが存在しなかったのだから、それまでビールというものしかなく、ビールにそこそこ金を使っていた生活体系が残っているので、わざわざ、不味いと思いながら無理して安い発泡酒を飲む人もそんなに居なかったと思う。

 だから、淡麗生のヒットは、スーパードライに変わるものとして、たまたま淡麗生がちょうど良く発売されたということが、大きな要因で、これまた、たまたま淡麗生は発泡酒で安かったから、ブームに拍車がかかったということだけなのだと思う。

 

発泡酒時代の到来

 

 前章でも書いたとおり、淡麗生は確かに分類上は発泡酒になるけれども、発売当時のキリンにとってはライバルアサヒのスーパードライに取られたお客さんを取り戻すための酒として端麗生はあったのだと思う、だからキリンとしてもお客を取り戻すことができれば、別にビールだろうと発泡酒だろうとどちらでもよかった、少なくとも、そのころのビールファンはアサヒスーパードライより美味いと思うビール系の酒が出たら、発泡酒だろうがビールだろうがどちらでも、特別高くなければ(スーパードライより高くなければ)それほど値段のことを気にせず買ってくれただろう。

その証拠ではないけれど、あまり知られては無いのだけれど、淡麗生には発泡酒では非常に珍しくビン入りのものも売られていて、スーパーではあまり見かけないかもしれないけれど、居酒屋や酒屋に行けば大体あるし、居酒屋にある場合、アサヒスーパードライを扱っているお店だと結構キリンの代表選手として、ビン入り端麗生が在ったりする。こういうところを見ても端麗生は、発泡酒の中でもビールとの境界線が曖昧なビール時代の発泡酒という風情を今でも少しばかり残している。

ただ、こういった、ビール時代の発泡酒という、人々がビールとか発泡酒とかをさして分け隔てなく、飲みたいやつを呑むという、おおらかな時代はそう続かなかった。90年代に入ると、不景気の波は一般家庭に押し寄せ、リストラやボーナスカットが続出、子供の教育費も上がって、家庭のお父さんにビールを買ってあげられるような家計の余地はなくなってしまい、この時点で発泡酒は、『ビールに似ていて、ビールより軽めのお酒(ただし、ビールより少し安くてうれしい)』から『ビールより安い、代偕ビール』となり、発泡酒は発泡酒の味が好きで買う時代から、発泡酒でないと買えないから買う時代になってしまった。つまり発泡酒がビールの枠の中にあった時代が終わり、本格的にビールと発泡酒が乖離する時代、ビールを飲み続けられる金持ちと、しぶしぶ発泡酒を飲む中産階級の時代にはいったのだ。

しかし、発泡酒を飲まねばならない中産階級は、ビールを飲み続けられる人よりさらに多く、こうなってくると、ビール時代、アサヒスーパードライのような酒が好きだった人はともかく、中にはキリンのコクの強いビールがすきだとか、苦くないとビールで無いという人も発泡酒ユーザーの中にまぎれこんでくることになる。

こうなってくるとビールという枠から追い出された発泡酒は、より多くのニーズに答えるためよりビール化し、同時に多様化していく、キリンでも淡麗シリーズだけでなく、黒ビール風の『生黒』、最近ではラガービールに似た『円熟』、アサヒでも、本生シリーズの中に、コクの強い『本生ゴールド』や更に苦味を抑えた『本生オフタイム(販売終了)』、サッポロも定番の生絞りと少し味を変えた『雫』を、サントリーも竹炭濾過の『純生』を出したりと、味の面でビール以上に発泡酒の多様性を見せるようになった。

他にも、成人病が社会現象になると各社カロリーや糖質、痛風の原因になるプリン体をカットした、商品が各ビールメーカーから出され、(実際、カロリーオフ系の発泡酒は味がかなり落ちるから、昔なら売れなかったと思うけど、今はあまりビールや発泡酒の味にうるさい人が減ったからある程度売れてるんだと思う)健康の面からも発泡酒はビールのユーザーを引き入れて行き、発泡酒の時代安定期に入る。

でも、この安定期を迎えた発泡酒時代もそう長くは続かなかった、2002年に小泉内閣が発足すると痛みを伴う構造改革とやらで、だんだん社会は貧乏人と金持ちに別れてゆき、そのため、発泡酒の中でも価格競争が激化し、淡麗生より十円安い(いつの間にか値段は変わらなくなったが)『極生』がキリンから出されたり、其れに加えて2006年の酒税改正で発泡酒はあんまり安くなくなり、貧乏人の発泡酒が、貧乏人には高くて買えなくなってきた。そしてそんな中台頭してきたのが第三のビールだ。

 

発泡酒の崩壊

 

2004年にサッポロビールえんどう豆から作った『ドラフトワン』を出したのはまだ記憶に新しい。それに少し遅れてサントリーが焼酎ベースの『スーパーブルー』を出し、第三のビールという市場が出来た。僕が最初にそれらを飲んだ感想は、「ビールじゃない(これをビールの代わりに飲むのはマジ勘弁)。」というものだった。

発泡酒も最初はそうだったが、独自の進化を繰り返した結果、味としてはビールっぽい飲み物にまでなった(ビールの方がやっぱりおいしいけど……)。しかし、第三のビールは確かにビールを目指しているのだけれども、ビールの劣化版の発泡酒のそれまた劣化版の第三のビールは、まだまだ数年はビールの代わりに飲むには少しキツイ印象を受けたのだけれど、2005年、ドラフトワンが大ヒット、多くの発泡酒ユーザーはこれに乗り換え、発泡酒の売り上げは急激に落ち、この状況を目の当たりにした、アサヒは『新生』、キリンは『喉越し生』を発売、酒税改正のあおりを受けて、第三のビール市場は破竹の勢いで大きなものになり、今では発泡酒以上の、新製品開発ラッシュだ。

これは、最初の発泡酒、スーパーホップが生まれて淡麗生がヒットするまで何年もかかったのとは違い、第三のビールのブームはその最初の製品ドラフトワンの発売と供に始まったといっても過言じゃない。それ程時代は第三のビールを求めていたのだ。

もう少し比較考えてみよう。第三のビールは発泡酒と違い、生まれたときから大きなニーズをもっていたという事は、同時にビールや発泡酒といった枠の外にその存在という確固たる地位を手にしたということだ。だから、第三のビールには、発泡酒のビール時代のときのように、第三のビールが、ビール系飲料として味を試され試行錯誤される期間(ある意味、子供が親元で育てられ、一人前にまで成長する期間)を与えられずに、ビールの枠、ビールの類似品ともかけ離れた味のまま広まってしまったということは、市場は大きいものの中身はまだ未熟な早熟な状態になっているという感がどうしてもぬぐいきれないと思う原因になっていると感じる。それでも第三のビールがここまで受け入れられているのは、単純な安さというものだけでなく日本人の味覚の鈍感化もある程度は、起因していると思う。

そして面白いことに、第三のビールとは逆に最近伸びているのが、高級ビールだ。これまでは高級ビールはサッポロの『エビスビール』ぐらいだったが、キリンがチルドビールシリーズを、サントリーが『プレミアムモルツ』、サッポロもエビスビールの『エビス黒』を出したり、アサヒも『プライム』を発売したりと、長年新製品の少なかったビール部門の新製品が、しかも各社、普通のビールより高級なビールとして売りだしているのである。こういったところから、格差社会というものは、ビール業界では高級志向のビールと第三のビールという形で現れているように思う。

ただ、今のところは出荷数はビールに次いで発泡酒がそれでも多い、それでも2005度からビールも発泡酒も、第三のビールに押されその売り上げを軒並み落としているから、ここから、何となく、僕は日本の中産階級というものの消滅が、高級志向で無い普通のビール、そして発泡酒の衰退から、少し見て取れてしまいそうで怖くなる。十年後、日本のビール市場はどうなってくるのだろうか?また昔のように、みんなでビールを飲める日々が来ているだろうか、それとも、高級志向のビールと第三のビールだけの時代になっているのだろうか?(小竹)

 
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